日韓併合の評価を考察する①

併合前、朝鮮半島の情勢 李氏朝鮮の略歴

1393年の建国から19世紀末期までは明、清の強い影響を受けて王朝に対する朝貢国となっていた。19世紀末期は欧米列強の中国進出などにより、それまでのバランスが崩れて清と欧米の列強および日本が朝鮮に対する影響力をめぐって対立した。

19世紀末期になると、欧米列強や日本(大日本帝国)、清などの介入が起こる。結局1894年の日清戦争で日本と清が戦って日本が勝ち、清との冊封関係も消滅したことで日本の強い影響下に置かれた。

*冊封(さくほう)とは、称号・任命書・印章などの授受を媒介として「天子」と近隣の諸国・諸民族の長が取り結ぶ、名目的な君臣関係をともなう外交関係の一種。

しかしこの時代は、国内的にはロシアと日本の対立に巻き込まれ、それに親日派や親露派、攘夷派など派閥の対立も絡んで深刻な政治状況に陥っていった。
日露戦争で日本勝利後は日本の影響力の向上に伴い李宮廷内では親日派の力が大きく伸張した。
日本と韓国内部の李完用などは日本が韓国を保護国化・併合する方針を採り、一進会は「韓日合邦」を主張した。

日露戦争後の1905年第二次日韓協約で日本は韓国を保護国化し、外交権を支配した。
1910年に日本と韓国は韓国併合ニ関スル条約を結び、韓国は日本に併合された。李王家や貴族は李王家・朝鮮貴族として華族制度に統合された。

李氏朝鮮時代の特徴は500年の長きにわたって続いた儒教道徳に基づく統治である。これは一面では身分制度を強固なものとし、差別意識を助長し、現実に沿わない外交、内政を支配者に行わせる原因となった。
その一方で儒教は高麗末期の腐敗仏教を打破し、また王朝後期には革新思想が生まれてきたように知識人が政治や社会の変革を考える要因ともなった。儒教の影響力がかなりの程度減じた現在の韓国、北朝鮮でも、このような儒教の二面性は形を変えつつ存続しているとされている。


朴正煕元大統領

日本の統治下で育った韓国の朴正煕元大統領は自著『国家、民族、私』で、李氏朝鮮について次の言葉を遺している。
「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である」
「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである」
「今日の若い世代は、既成世代とともに先祖たちの足跡を恨めしい眼で振り返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」